何事も、関心をもっていきたい

自分が我が子を想い「知ってもらいたい」と思うなら、同じように私もいろいろな事に関心をもっていなければいけないと思う。

それは、なっこの障がいが分かってから、いろいろな人に話を聞いてもらった中で、長女のベビースイミング仲間だったYさんが、こういう事を言ってくれた時からだった。

 「何事にも、目をむけていたいから・・、また話を聞かせて」と。 

それまで、私は、自分の事ばかりで、自分ばかりが大変なような気がしていたけれど、

「これでは、いけないな・・私も、もっと他の事にも関心を持つようにしよう」と思うようになりました。実際は、全然・・・なかなか出来ていないのですがね(--;)

 

人との出会いで、気づくことが多いですね。

Yさん、今もメールでやり取りさせてもらうけれど、本当、感謝しています。ありがとう。

1.17 阪神淡路大震災の日

 

17年前の1月17日、私も震災を経験した。

大阪の寝屋川市という大阪と京都の間にあたりに住んでいた。築20年以上の鉄筋コンクリートの2階の部屋ひとり暮らし。夜明け前、真っ暗な中、地面下からものすごい音と同時に身体に感じる嫌な揺れ、「地震!」と思った瞬間、食器棚のグラスが落ちて割れた音がした。社宅だった他の部屋からも、「きゃー」「外、外!」と慌てる人の様子が分かった。布団の上でどうすることも出来ない。揺れは数分と長くに感じた。停電が1時間ほどだったか続いた。寒くて、布団にくるまっていた。後から「震度4」といわれたが周りの人たちが「それ以上だ。間違いだ。」と言っていたが、それほど怖かった。電気が通って7時頃実家に電話した。「いやー、こっちは震度1くらいだ」と全く平常通りで、感覚が違っていた。幸い社宅にひびが入った程度で、大きな被害はなかったが、その後も余震がありしばらくそのたび、恐怖を思い出し嫌だった。

 その日、兵庫県の東灘区から通っていた大学生のアルバイトくんが、夕方いつもの時間になっても姿を見せなかった。携帯は普通の人はまだ持っていない時代だったし、家電にかけても「現在、つながりにくい状況」とアナウンスが流れるだけ。テレビのニュースで悲惨な様子をみると、「もしかして・・・・」と会社にいる私達は、とても心配になった。

 4,5日経って、ひょこっとアルバイトくんが現れた。ひょうひょうと現れた・・・こんな時でも、笑顔のアルバイトくんは凄いなぁと思ったけれど、会社のみんなに会えて少し嬉しかったのかもしれない。「大丈夫かー?」「ほんと、良かった、良かったなぁ」とみんなで、初めて笑顔になれた。 アルバイトくんは水が無くて困っていると言うことで、ポリタンクに詰めて送ったと記憶している。

 

あれから、17年経ったんだ。

「そうだなぁ~、ずいぶん経ったなぁ。」と思う。書き出すと記憶は残っている事に気づいた。怖かった印象と、アルバイトくんの事をすごく心配したこと。先輩が親身になって声をかけていた場面を思い出す。

「死」を目の当たりにした人もたくさんいる大変な地震だった。今も、苦しい思いをされている人がいると思う。あれから、あのあたりは復興がすすんで、元の様にそれ以上に整備されているだろうけれど、でも、忘れてはいけないと思う。

 

昨年の東北大震災・・・原発事故・・・遠く離れているから、ついつい自分の周りのことばかりになってしまうが、やっぱりその人達の気持ちを少しでも想像していきたいと思う。