子どもは、大人の鏡映し♪

なっこが3年生(2013)の冬

 

担任のm先生から、

「なっこさんや、お母さんのブログのことを紹介したいと思い、

学級通信を書いてみたのですが、一度見てもらっていいですか~?

OKをもらってから、出そうと思います」との言葉とともに、

通信を受け取りました。

 

そして、私は、メールでこう返事をしました。

 

以下、先生に宛てたメールの一部です。

 

「通信、OKです。
 
(中略)
 
そして、私の中での気持ちをお話しておきます。

 

矛盾しているように感じられるかと思いますが、
本当は、【障がい】とか、【自閉症】と いうことばを使って
説明をしたくない気持ちがあります。
 
HPで使っているのは、同じようなことで、悩んでYahooなどで、検索された方が、このHPを読みすすめてもらいやすいように使う場合もあります。

 

なっこへの視線が、いわゆる障がい名が先で、自閉症の子どもという見方をされることが、嫌なのです。

 

 
本来、
十人十色、100人いれば、100人それぞれ違います。
1000人いても同じように、それぞれ違います。
その延長線上に、なっこもいます。

 

医学的な見方をすると、障がいがあるから というふうに区別されますが、
人として、みな同じです。
 
学校の子ども達は、区別なく見てきているので、なっこが特別ではない存在だと、思います。。「自閉症のなっちゃん」ではなく、「なっちゃんは・・」

 

 

社会に理解をしてもらい、なっこ達が、過ごしやすい社会にしたいために、【自閉症】、【障がい】ということばを使っていますが、気持ちの中では、本来、その言葉は、必要ないと思っています。

 

 

「自閉症だから、ハンディあるから、、、特別にしてください」とは、思っていなくて、

 

人はみんな役割が違っていて なっこはなっこの役割があるから、
素敵なんだよ! 
幸せなんだよ! 
楽しいんだよ! 
一緒に楽しく過ごしましょう!
知ってください!
そばにいてください! 
手をつないでください! 
 
その輪を広げようと思っています。

 

 

 

そこのところ・・・先生も同じだと、いいなと思っています(*^_^*) 」

 

 

 

すると、m先生からは、こうお返事が届きました。

「自閉症という言葉や障がいという言葉を使って、
学級通信を書いてみて、何かすっきりしない感があり、
お母さんに見せてから・・と思った訳が分かりました

 

私も同じ考えだからだなぁ と。
 
なっこさんの担任になり、
自閉症について勉強したことは、
なっこさんというかけがえのないひとりの人を理解するのに
とても役立ちましたが、
障害があるから、自閉症だから 
そのことが先にきて区別されることは、嫌です。
 

自閉症ということばは使わないで書こうと思います

 
 

 

その後も

学級通信には、お友だちと遊び、笑顔のなっこ

学習時間、朝マラソン時、掃除時のがんばり

委員会、クラブ活動のエピソードが 載っています。

 

自然に仲良くする 子どもたちの姿に、私や先生方、時には他の保護者さんも・・感動しています♪

 

そういうふうになってきた背景には、やはり、先生方、地域の方の気持ちが反映されていると、感じます。

 

30数年前に仁万の里が創設された

この地域・・・、

いろんな人がいて、それが当たり前 

そんな感覚の人が多いのかもしれません。

 

この地域に暮らせて 本当に 有り難いです。