アイさんのお話。

昨年の2月11日のブログに書いたアイさんのことを書きます。

 

あの後、転院され、その病院にいる間に、1回だけメールを送りました。
それは、病院のHPへメールすると、その内容を便箋に印字してくれて、看護師さんから、直接渡してもらえるというサービスを使いました。

 

そしたら、とても喜んでくれて、「こころが温かくなったよ~」ってメールをもらいました。

 

その後、何ヶ月も気になりつつも、メールも出来ず、

別のお付き合いで、共通のお友だちが二人いたのですが、なかなか、出会っても聞けず、、「あっ、アイさんのこと、聞けばよかった~」と、いつも後になってから、思ったものでした。

 

春が来て、夏が来て、、

 

秋がきた頃、、

共通のお友だちに次、出会ったら、必ず、聞こう。そう、心に決めていました。

 

私の言葉に、そのお友だちは、

 

「えっ。・・・・・」

 と、言って 驚いた顔をみせました。

 

 嫌な予感は、当たってしまって・・

 

「亡くなったよ」

 

 

聞けば、5月に亡くなっていたと言います。

 

 

もう、これ以上、何も受け止めきれないと思って、

別れました。

 

お墓に拝みにすぐには、いけないので、

その晩に、心の中のアイさんに、手を合わせました。

 

 

 

年の暮れ、年賀を書くようになって

3枚の年賀はがきのアイさん一家を見つめ、

思い出がたくさん蘇り、また今残された家族の方の気持ちを考えると、

涙がたくさん出ました。

 

本当に、ステキなお母さんをしていて、こんなにいい人は居ないな~って思う人。

そんなに、長いあいだのお付き合いでもないし、

お互いに、いろいろなことを知っている 親しい間柄では、ない私でも、

こんなに悲しいのですから、家族の方は、どれだけの深い悲しみか。

 

享年37 と書かれた

喪中はがきを出された旦那さんのお気持ち。

どれだけの苦しみか。

 

 

私が泣いて、少しでも軽くなるのなら、泣きますが

 

 

 

ずっと、心配していました。

 

 

今日、二人目の共通のお友だちに、偶然出会ったので、

思い切って、話しかけ、聞いてみました。

 

立ち話で、明るくおおらかなアイさん一家の話が出来ました。

 

こんな事があったし、あんな事もあったと。

 

 アイさんは、色々な場にボランティアで、出かけてたね。

 たくさんの方との縁を紡いでた人。

 

 家族の元にはない写真だとか、知らないエピソードだとかを手紙で送りたい。  

 きっと、色々な方が、残った家族のことを気にかけて、色々な話を

 ご家族にもしていると思う。

 

 子どもたちが並んで みんなで笑ってる写真が、友だちの子ども宛に届いて

 いたこと。

 

 おねえちゃんは、お母さんと同じ部活に入ったこと。

 

 あのお母さんの子どもたちだし、旦那さんも、きっとだいじょうぶ。

 

 

 こんな話で、アイさんの供養になれば と、ここにも書いた。

 

 アイさん、いろんな人の中で、生きていると思う。