都会では、保育所託児所不足、園での事件など、
今年に入ってからも 何件も痛ましい話を聞きます。
先月だったか
NHKの番組で、結婚後、出産を終え
職場復帰を目指し、数ヶ月の我が子を預ける場所を探す ある母親が映っていました。
幼子をかかえ、必死で情報を得て 条件の良さそうな園をみつけては、訪問、
やっとの思いで空きを見つけることができた。
・・・すると、妙な後ろめたさが残るという。
私は、もうあの辛い目から抜け出せた。
けれども、同じような思いをされているお母さんたちが、今もたくさんいるのだ。。
そういう思いに駆られる・・・
けれども、どうしていくことも出来ない。
自分たちのことで精一杯。日々の子育て、仕事、家事に追われる。
その思いを抱えつつも平常を取り戻す。
それは、いたし方ないように思われた。
今日、
スマホでこんな記事を見ました。
「少子化問題」
「子育て支援充実」
よく耳にしますが、
子育ての環境、
これからの見通し、
いかがでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・駒崎 弘樹という方の記事でした・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(中略)
また例えば、障害者団体。障害者は全人口の6.2%です。マイノリティです。ということもあり、
つい40年前は、市バスに車椅子で乗れませんでした。駅も階段しかなかったし、駅員も手伝わ
なかったので、車椅子での移動は至難を極めました。
しかし、青い芝の会を始めとした各種障害者団体の方々が、粘り強く市や国鉄と交渉し続けた
結果、バスに乗れるようになり、駅にはエレベーターが設置され、駅員たちも業務として手伝うよ
今では、そんな時代があったことさえ、誰にも信じられないことだと思いますが。
そう、粘り強く、継続的に、要望したり交渉したりコミュニケーションを取る人々が、社会運動に
は必要なのです。
【子育て層だけは、「当事者」期間が非常に短い】
しかし、子育て層は、この側面において、決定的に弱い。
保育園に入れない!という悩みも、入れてしまったら、もう過去の話になります。
子どもが熱を出して会社に行けない、困る!という悩みも、子どもが4歳を過ぎた辺りから、徐々
になくなっていきます。
学童に入れない!という悩みも、高学年になったら塾に行けるし、まあいっか、となる。
そう、当事者が当事者であり続けるということが、ないのです。
喉元過ぎれば、課題は遠のく。だから、「今頑張れば、まあ良いか」となる。
過去味わった課題については「そういうことも、あったよね」となる。
怒りは持続せず、よって運動は継続しない。
一方、高齢者はどうでしょうか。
65歳以降、少なくとも平均的には15年は高齢者であり続けます。
障害者は、障害によりますが、一生障害と付き合いを続けることになります。
彼らは、継続的に課題を抱え続け、そして継続的に当事者であるのです。
だから、継続的に社会運動を行っていくことになり、その継続性は成果を生みやすいのです。
2、3回要望されるのと、10年間継続して要望されるのでは、要望される方に与えるインパクト
は、全くもって違うのです。
【ではどうする?】
ならば我々の取る戦略はクリアです。2つあります。
まず、
①「当事者でなくなっても、自分の味わった痛みを感じる人のために、動く」
ということです。
これは短期的には非合理です。自分の課題と関係無いのだから。
でも中長期的には合理的です。それによって他者が助かり、より良い社会になり、自分たちの子
どもたちは自分たちと同じ目にあわずに済むからです。
そして
②「当事者じゃなくても、共感した人が動く」
自分に子どもがいなくても、直接子育てしていなくても、当事者のために運動に手を貸すこと。
ちなみに僕は自分が子どものいない、結婚すらしていない時に、保育業界の難問中の難問と言
われた、病児保育サービスを始めました。今では全国最大の病児保育団体です。
当事者たちが数年で喉元すぎることも、非当事者の僕は何年も取り組み続けられました。常に
新たな当事者たちの苦しみを、見続けたからです。
僕は願います。あなたが、自分の苦しみ以外も苦しみと感じ、動き続けることを。(後略)
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(政治が子育て層を簡単に無視できる、投票率以外の大きな理由)
という記事。
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